ピッチへの物の投げ込みは絶対的な悪である。
そして悪を批判するのは絶対的な正義である。
誰にでもわかる正義だからといって
声の届かない高い所から「彼ら」犯人を批判する者がいる。
あえて言う。
これは絶対的な正義を盾にした卑怯者である。
物の投げ込みやバス囲みを肯定、推奨するわけではないが
結果的に「彼ら」はチームに渇を入れたのである。
(差別発言はまた別の問題)
他に誰がチームに渇を入れただろうか。入れてきただろうか。
今までもずっとそうである。
「彼ら」はいつも暴力的なフラストレーションでルールを破壊する。
しかし同時に、クラブに危機感と推進力を与え、
声の発信源となり、造ってきたのもまた、いつも、「彼ら」なのだ。
レッズに限らず、日本中のサポーター(世界でも)にとって
長く普遍的に続くこのジレンマ的な構造は、
「彼ら」だけを悪者にして責めるのではなく、一人一人、
自らが考え、行動し、成長しなければいけない問題である。
都合の良い時だけ、楽しい時だけ、
人と同じようにコールし、人と同じように跳ね、
人と同じようにブーイングし、人と同じように拍手し、
数にまかせ、我らレッズサポーター様なりと勝ち馬に乗るが、
自らが声の発信源になったり行動することはなく、
自分の意見を持たず、
それでいて、いつも自分だけが絶対的な正義でありたい。
そんな者がどうして「彼ら」を批判することができよう。
自らのフラストレーションは
自分以外の誰かが始めたコールやブーイングに乗っかって
“サポーターの総意”としてちゃっかり発散するくせに、
暴力的なフラストレーションの発散は正義の名の下に拒絶し
「これはサポーターの総意ではない」などとうそぶく者が
どうして「彼ら」を批判することができよう。
決まって「彼ら」=「誰か」がやらなければ行動しない卑怯者が、である。
結局、いつも「彼ら」だけが悪者である。
自分発信の意見で、正義のルールに則ったやり方で
チームに渇を入れる者、クラブを造る者は、ほとんどいないのである。
「彼ら」は自ら意見を発信し、行動する“挑戦者”だから
失敗を犯したのである。
自らは挑戦せず、成功には便乗し、失敗を批判する者。
それはすなわち卑怯者である。
喜びも、悲しみも、フラストレーションも、そして挑戦も、
一人一人、全てを共有して、理解しあってはじめて
選手、監督、経営陣、サポーターらが、
“ひとつのチーム”になるのではないだろうか。
仙台行ってきた。
返信削除また、勝てなかった。
ピッチから気持ちも感じられなかった。
悔しいし、腹立たしいなんてもんじゃないけど、
マスゴミにも、それに踊らされる奴らにも激しい違和感を感じてたのだが、
俺の気持ちを文書化してくれてありがとう(爆)
てなわけで、平塚行ってくるわ。
あれっ、湘南と今年やったよな...
あっ、ナビスコか(爆)
まぁー関係ねーけどな。
リーグもナビスコも獲りたいんだから( ̄ー ̄)ニヤリッ
仙台お疲れ様でした。
返信削除誰だ「中断期間」なんて言ってるヤツは!ってことでナビスコも獲りに行きましょう。
水曜の試合とか行きたかったんすけど、ダメになってしまったんで、W杯明けには自分もどっか行けるように準備してます。
言葉で言い訳できるクラブやチームに対して、サポーターはなかなか言葉で伝えることができないんですよね。だから態度で示してしまう・・・。
「伝える」部分を一部に頼りすぎてるから、その一部の人は余計に暴力的な態度でオーバーに表現したくなってしまうんじゃないかなと思うわけです。
そこはスタに行けない自分のような人間も含めて、みんなで共有しないとっ、て気持ちで書きました。